就職してもしなくても、どんな仕事をしていても

目の前の仕事を真剣に楽しみ、 ほがらかに生きていく方法は無限にあると信じています。

偶然の装丁家

晶文社
B6判ペーパーバック/288ページ
定価:本体1500円+税
978-4-7949-6848-7 C0095

装画:ミロコマチコ
口絵写真:吉田亮人
装丁:矢萩多聞

2014年5月刊行

Synopsis

「いつのまにか装丁家になっていた」――。

中島岳志や森まゆみの著作をはじめ、小説、学術書、ビジネス書など、幅広く「本の貌」を手がける矢萩多聞。

学校や先生になじめず中学1年で不登校、14歳からインドで暮らし、専門的なデザインの勉強もしていない。ただ絵を描くことが好きだった少年はどのように本づくりの道にたどりついたのか?

小学校時代、インドでの思い出、絵を描く仕事、本をつくる仕事、そして、日本で暮らすこと――

気鋭のブックデザイナーが、偶然に満ちた自らの半生をたどり、この時代に生き、働くことを見つめなおす。

Profile



矢萩多聞(やはぎ・たもん)
1980年、横浜生まれ。画家・装丁家。
中学1 年で学校をやめ、ペンによる細密画を描きはじめる。95年から、南インドと日本を半年ごとに往復し、日本帰国時に個展をひらく。2002 年から本づくりの仕事にかかわるようになり、これまでに350 冊を超える本をてがける。12 年、事務所兼自宅を京都に移転。現在はインド・バンガロール-横浜-京都を行き来し、装丁、ペン画、イベント企画など多岐にわたって活動をくり広げている。著書に『インド・まるごと多聞典』(春風社)がある。
Tamonolog http://tamon.in

 

はじめに

ぼくは自己紹介が苦手です。
はじめて会った人に自分のことをうまく説明できません。
ちかごろはつい面倒くさくなって、
「矢萩多聞もです。本のデザインをやってます」
と簡単にすませてしまうこともあります。

ぼくは絵を描けば、本もつくります。
日本に暮らしていますが、インドにも家を借りています。
中学1年生から学校に行かなくなり、
14歳のころから一年のうち半分以上をインドで暮らし、
日本に帰ってきたときに描いた絵を売り、
そのお金を持って、またインドに行っていました。
そんな10代を送っていたら、
20歳のとき、突然自分の本を出すことになりました。
本とかかわりあいができて、デザインをするようになり、
いつのまにか装丁家を名乗るようになりました。
インドにまつわるウェブのポータルサイトをつくって、
文化交流イベントやコンサートを企画してきました。
結婚して子どもができ、仕事も増え、
日本ですごす期間が長くなりました。
インドで結婚式をあげ、ヒンドゥー教徒に改宗しました。
東日本大震災後、思うところあって、京都に引っ越しました。
いまは月一回、打ち合わせのために上京していますが、
基本的には京都市左京区で本をつくりながら、
地味に楽しく暮らしています。
インドの家はずっと借りっぱなしになっていて、
いまもときどき行っています。
インドとのつきあいは単純に好きな国! とは言えなくて、
愛憎悲喜こもごもの腐れ縁、第二の故郷になっています……。

ふつう、初対面の人にここまでバーッと一気に説明できません。
まず、多くの人は学校に行っていないことに驚き、
インドに家があるという話に混乱します。
話の途中に、
「インド人ってやっぱり毎日カレー食べてるんですか」
なんて質問が挟まれると、いつのまにかインド文化講座みたいになってしまって、
もはや装丁の話や、絵の話にはたどりつけなくなります。
どの話をおもしろがるかも人それぞれ。
なかには「インド人の多聞さん」や
「学校行ってないのにデザイナーで成功している矢萩さん」
と認識する人がいる。
「ワイルドだなぁ。学校に行かずインドで暮らしていたおかげで、
独創的な才能が花開かれたんですね!」とも言われる。
全然そんなんじゃないのになぁ、と思いつつ、
否定しても話が長くなるだけなので、とりあえず笑ってごまかすこともあります。

絵の個展にはいろんなお客さまがきます。
なかには不登校の子を持つ親御さんもいる。
中学で学校をやめた、という部分が気になるのでしょう。
「うちの子もインドに行けば、多聞さんみたいに才能が花開くんでしょうか」
と真剣な顔で相談される方もいます。
「エーッ、インドに行って人生観が変わったり、
才能が開いたりするなんてこと、まず、ないですよ!」
とぼくが答えても、ポカンとされるばかり。
「親御さんのそういう考え方をやめてあげてください。
才能とか個性とか、子どもには重荷にしかならないので……」
と言ってもなかなかうまく伝わらない。

ぼくが小学生だったころから、
世のなかで「個性」という言葉がもてはやされはじめました。
「自分らしく」「個性をのばす」「世界にひとつだけの花」とか
そういったフレーズをよく聞くようになりました。
ぼくは個性や才能というものを信じていません。
自分がつくり出してきたものに、はたして独自のものなんてあるのだろうか。
むしろ人さまの影響をたくさん受けています。
その時どきに出会った人たち、物事の流れのなかで、
おぼろげに自分のカタチが浮かびあがる、
そちらのほうが自然じゃないかなぁ、と思うのです。

子どものころから
「伝えたいものは何か」「なりたいものは何か」
と問いつづけられることは結構しんどいことです。
それよりも、いま自分の暮らす場所、出会った人のあいだで、
なんとなく自分が必要とされ、自分の輪郭が見えてくる。
そのほうが居心地のよい社会のような気がします。

「就職しないで生きるには」というこの本の依頼があったとき、
どうするかとても迷いました。
最初はお断りすることも考えましたが、
ちょうど不登校児やその親、
就職活動中の学生たちに会う機会が重なって、
ちょっと書いてみようと思うようになりました。
彼らは自分らしく生きるために、
自分で自分自身を生きづらくしているように見えたのです。
この本には、就職しないで生きるために、
いかに個性的に、強いメッセージを持ちつづけていくか、
という話は書いてありません。
人と人の出会い、ささやかな言葉や体験が、
つねに自分を変化させつづけ、いまの仕事につなぎとめてくれている。
学校に行かなかった、インドで暮らした、
本をつくっている、というのは多くの人たちにとって、
特別で個性的な人生に映るかもしれないけれど、
それらは単にいまの状況をつくり出す
ジクソーパズルの一ピースでしかないのです。

ぼくは、就職してもしなくても、どんな仕事をしていても、
目の前の仕事を真剣に楽しみ、
ほがらかに生きていく方法は無限にあると信じています。
さて、どうしてそんな風に考えるようになったのか……
まずは、ぼくの子どものころの話をしてみようと思います。
(『偶然の装丁家』はじめにより)